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「印刷モノ」をレビューする! 第8回:「雨あがりの印刷所」 前編

印刷が物語のキーになる#印刷モノのレビュー、第8回目になります。

今回ご紹介するのは夏川鳴海著の『雨あがりの印刷所』。著者にとって二作目となる作品で、タイトルからわかるとおり「印刷」がテーマとして前面に打ち出されています。

それではあらすじをどうぞ。

「雨あがりの印刷所」あらすじ

主人公の光は職探し中の青年。小さいころに父親の友人で印刷会社を営んでいた二郎の仕事ぶりにほれこんだことで印刷にかかわる仕事を志し、上京して見事印刷会社に就職したが、仕事で大きなミスを出したことで失意のうちに退職し、故郷である岐阜に出戻っていた。

ある日職探しのついでに兄の智樹が経営する喫茶店フォレストリバーに顔を出したところ、失われた詩集を復元したいという老齢の男性の話を耳にする。妻が書き上げて自費出版したものの、水害にあって泥水につかりほとんど読めなくなってしまったのだという。智樹の強引な押しにより、光はしぶしぶながら男性に協力することとなった。

依頼者の話を聞きながら、印刷会社時代のノウハウを活かしてなんとか希望を実現しようとする光。そのなかで、印刷という仕事への情熱を少しずつ取り戻していく。

印刷モノポイント

印刷会社勤務の職業病

作品を読んでいくうちにまず感じたのが、主人公の光が典型的な印刷会社の社員(元)であること。雑誌を手に取るとまず印刷の仕様に意識が向いてしまいます。

―――
 製本は中綴なかとじ、紙はコート、厚さは五十キロぐらい? 印刷は……大日本、やっぱり大手か。うわっ、料金表とか宿泊プランとかすごい細かいな。これ校正大変だっただろうなー。
―――
夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)、p8-9

製本方法、紙種、校正作業……目の付け所がとても印刷畑の人間らしいですね。順番に解説していきましょう。

まず中綴じですが、これは本の背の部分を針金でとめて固定する製本方法の名前です。ChatGPTに印刷会社の新人研修の問題を解かせてみる 前編でも取り上げた製本方法ですね。特殊な場合を除いてページ数が必ず4の倍数になるという特徴があります。

コートとは紙の種類の一つ。紙に表面加工をほどこすことで光沢を出した紙です。光沢があることによって発色が鮮やかになるため、チラシなどでよく使われています。

次に厚さが五十キロという箇所。これは一般の方々にはなかなかピンとこないかもしれません。印刷業界では紙の厚さを重さで区別するという習慣があります。もちろん紙1枚あたりの重さは微々たるものなので、1,000枚重ねた状態の重量で紙の厚さを等級づけています。この場合だと1,000枚で50kgの重さになる程度の厚さの紙、ということですね。この1,000枚単位の紙の重さを斤量、連量といったりします。

紙の種類はともかく、紙の厚さまで手に取っただけでわかるのでしょうか……? これがわかるのです。紙は厚さによってしなり方や裏面の透け具合が大きく変わってくるので、印刷会社で紙に直に触れる仕事をしていればおおよそ予想がつくようになります。

最後に校正作業。印刷物は一度世に出てしまえば内容に誤りがあっても修正できません。だからこそ校正作業が大事になるわけですが、なかでも料金表などお金が絡む内容の記載についてはとりわけ厳密な校正が必要になってきます。このシーンで光はお花見の特集記事に目を付けていますが、もし料金が間違っていれば読者や旅行代理店など各方面に多大な迷惑がかかってしまいますね。

印刷物を手に取ると、製造に発生する各工程が思い浮かぶ……退職したとはいえ、光は印刷会社できちんと仕事に打ち込んでいたのがわかります。

失われた詩集を救ったのは○版印刷!?

あらすじで書いた「失われた詩集」の再現に挑む光は、奥付から詩集が製造された印刷会社を特定します。印刷会社の方で見本を保管している可能性があるのでは……というのが光の勝算でした。特定した印刷会社は問題の詩集を印刷した次の年に廃業しており、見本も工場にそのままほったらかしとのこと。光は依頼者とともに印刷会社を訪れ、ほこりをかぶった様々な印刷物の大量の見本から詩集を探しはじめました。

お昼過ぎからはじめて日が暮れるまでになったころ、詩集がようやく見つかります。しかし、20年近く放置されていたことで保存状態は絶望的。中の文章は読めるものの、雨風を受けて背の糊の部分がはがれている、あるいはカビが生えているものばかりでした。

これでは妻にプレゼントできるはずもない……依頼者は途方に暮れる一方、光は見本をながめているうちにあることに気づきます。

―――
 ――ん?
 直感的に、何かが違うと察する。
 この違和感はなんだろう。そういえばフォレストリバーで本文を見た時も……。
 パラパラとページをめくると、例のごとく印刷部分に触れてみる。
 全部ではないが、所々、裏に印刷された文字が浮かび上がっている部分がある。立体的に、まるで点字のように。
 通常、版のいらないオンデマンドはもちろんのこと、オフセットですら、印刷の際に紙に圧力がかかることはほとんどない。しかしながらこの詩集に関しては、文字の部分に明らかに圧力がかかっている。そう、まるで印鑑いんかんで、上から思いっきり体重をかけたみたいに。
―――
夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)、p49

文字の裏が浮かび上がっていることに気づいた光。直後に発覚するのですが、この詩集は活版印刷で刷られていたのです。

「不思議な少年 第44号」の記事でもご紹介しましたが、活版印刷は金属活字にインキをつけて紙に押し付けることで文字を転写するしくみです。金属活字は字の部分が凸になっているため、これを押し付けることで紙に若干の凹みができるようになっています。これが光が感じた違和感の正体でした。

(画像内出典 右:”letterpress I print” by kathryn_rotondo is licensed under CC BY 2.0.)

光は工場に残っていた活字を使って詩集の本文を組みなおし、詩集をもう一度活版印刷で刷ろうと依頼者に提案します。活版印刷で刷られているのであれば、原稿の通りに活字を並べて版をつくるだけで誌面が再現可能。幸いにもページ数はそれほど多くはなく、詩集ということもあって1ページあたりの文字数も少なかったため、光は組版作業を自分たちでまかなうことを決めたのです。

もし仮にこれをオフセット印刷でやり直すとなれば、原稿データの再作成、版データへの変換処理、刷版、印刷、と専門性の高い必要な作業が山積みになります。設備もDTPソフト、RIPソフト、プレートセッター、印刷機とかなり大掛かりになりそうです。対して活版印刷のお手軽さはアナログの利点かもしれませんね。

また、そもそもオフセット印刷とは大量部数の印刷を想定した印刷方式なので、このお話のように冊子を一冊だけ印刷したい、という小ロットの製造にはあまり向いていません。このあたりはオフセットメインの印刷会社としては歯がゆいところです……。

小ロットの印刷にはほかにも方法が……!?

現代の印刷会社はどこもオフセット式の印刷機を設備の主軸としているため、小ロットのお仕事にはコスト面でどうしても満足いただけるご提案をしにくいのが現実。今回の作品では個人のお客様からの依頼に活版印刷というかなりアナログな方式で対応していますが、小ロットのお仕事は基本お断りなのかといえば、そうではありません! 小ロットに対応しつつ、よりリーズナブルかつデジタル化された方式の印刷ももちろん存在しています。それについては後編でご紹介していきましょう……。

後編にもぜひご期待ください!

書誌情報

夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)

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