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「印刷モノ」をレビューする! 第8回:「雨あがりの印刷所」 後編

前回に続いて夏川鳴海著の『雨あがりの印刷所』をご紹介していきます。

あらすじは前編をご覧ください。それではどうぞ。

印刷モノポイント

小ロット印刷なら○○にお任せあれ!

前職のノウハウを活かし、兄の経営する喫茶店に来るお客さんの困りごとを印刷で解決していく光。ただし印刷会社勤務時代とは違い、相手は法人でなく個人であるため、結果として製造する印刷物も小ロットになっています。

前回でも書いた通り、オフセット印刷は大量部数の印刷を想定した方式なので、小ロットの印刷ではむしろコストがかさむのがネック。そんなときに活用したいのがオンデマンド印刷です。

ある日、光のもとに写真集を印刷したいという大学生の依頼が舞い込みます。光は依頼者に対してオフセットとオンデマンドの違いを説明するところからはじめました。

―――
「オフセットとオンデマンドの一番の違いは、版を使うか使わないかの部分なんだ。それだけでも値段、スピード共に随分と変わってくる。仮に六十八ページ両面四色の本を作るとするよ。十六ページ一丁付け四台、四ページ四丁付け一台の、計五台でやる場合、製版は、一色一版だから片面で四版、両面で八版、かける五だから全部で四十版やることになる。製版代を一版五千円と仮定すると、二十万円。オフセットとオンデマンド、製版代だけでもこれだけの差が出てくるんだ」
「二十万円……」
 表情をくもらせる。
「もう既に予算オーバーだわ」
 そんな彼女に朗報とでも言わんばかりに、光は補足を付け加える。
「もちろんオフセットにはオフセットの、オンデマンドにはオンデマンドの、いいところってのはある。たとえばオフセットの場合、合計金額は高いけど、一万部とか十万部とかたくさん刷る時は、一冊の単価が安くなる。オンデマンドの場合、一冊の単価は高くなるけど、百部とか小ロットの時は、合計金額が断然に安くなる。時と場合によってうまく使い分ければ、とてもお得なんだよ」
―――
夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)、p206-207

少し補足をはさんでいきましょう。まず本や冊子などの頁物の印刷をする場合、16ページ、8ページ、4ページ、2ページなど2のn乗ページをひとかたまりにして印刷します。引用部でいうと16頁のかたまりが4つ、4ページのかたまりが1つというわけですね。

オフセット印刷で印刷する前に製版という版をつくる工程が必要になります。版は一色につき一版。カラーで印刷する場合はCMYKの各色の版が必要になります。これを裏表、かつ上記の5つのかたまりにそれぞれに必要になるので、計四十枚の版をつくることになります。

ここで注意したいのが、製版代は印刷する部数には関係がないということ。刷るのが一部でも一万部でも、製版代は変わりません。だからこそ小ロットでは製版代ばかりがかさんでしまい、コストを大きく圧迫するわけですね。引用部のケースでは、68ページフルカラーで計二十万円……まだ1ページも印刷していないのに製版代だけでこれだけかかるのはちょっと驚きではないでしょうか。

一方オンデマンド印刷では製版の概念がないため、製版代は発生しません。よって小ロットの場合でも割高にならずに済むということですね。引用部にある通り一部当たりの単価はオフセットに比べて高くなるため、大量部数を刷る際にはコストがかさんでしまいますが、小ロットの場合はオンデマンド印刷が断然安くなります。

さらなる奥の手:束見本!?

オンデマンド印刷の利点を説明したことで依頼者からの了承を得ることができた光。しかし後日、抜き差しならない事情から写真集の印刷を大幅に早めなければならなくなりました。期限はなんと1週間。1冊のみでもかまわないので、とにかくすぐに完成させたいとのことです。途方に暮れる光ですが、ここでとんでもない手を使うことを決意します。

―――
「束見本を作る要領で、写真集を作るんだ」
 首を傾げる茜。
 光は説明を続ける。
「束見本っていうのは、本の完成後、どのような感じになるのかをあらかじめ見るために、実際に印刷する紙で作る、白紙の本のことだよ。もちろん大規模物件であったり、昔馴染むかしなじみのお得意さんである場合は、紙の種類を変えたり、サイズを変えたりして、幾つか見本を提出することもある」
「だけど、今の話を聞く限りでは、それは白紙なんだよね?」
 疑問をていする美月。そして核心に迫る。
「束見本を作る要領で写真集を作るっていうのは、一体どういうことなの?」
「白紙で作るっていうのは、あくまでも狭義での意味。束見本の体裁は、各会社、各個人によって様々なんだ。僕が以前いた会社では、次のある大型定期物件に関しては、ラフに仮の画像、仮の文章を入れて、全ページカラーで束見本を提出していた」
「なるほど。その要領で、ってことね」
 そう、と肯定すると、光は一番重要な部分の説明に入る。
「内容を入れ束見本を作る場合であっても、まず間違いなく本機は回さないんだ。使うのはオンデマンド機。全判本紙なんかも印刷できちゃう、巨大な高性能レーザープリンタ。これであれば、写真集のデータができたらすぐに印刷できるし、さっき言った一冊、つまりは十六ページ付け一枚と、表紙一枚の、計二枚のみを、時間をかけずに直ちに出すことができる」
―――
夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)、p273-274

引用中にもあるように、束見本は本番と同じ用紙、ページ数、製本方法で印刷・製造される見本のこと。その名の通り見本として使うものですが、光はこれを利用して本番の写真集を刷ってしまおうと提案しているのです。

一冊だけすぐに刷ってしまいたいのであれば、束見本の製造フローはたしかに合理的。通常の束見本は下の写真のように表紙や本文に何も印刷しないまま製造することがほとんどですが、本番の誌面のデータさえ用意できていれば「本番とまったく同じ仕様/同じ内容が入った束見本」をつくることも可能です。

そしてここでも活躍するオンデマンド印刷。束見本は基本的に少部数で製造するので、やはりオンデマンド印刷の守備範囲になります。印刷に必要な時間も非常に短いので、急を要するケースでも頼りになるというわけです。

もちろん、急ぎで刷れるからといって品質が落ちるわけではありません。オフセット印刷ほどの精細さではないものの、オンデマンド印刷も近年になって進歩してきており、とても豊かな印刷表現が可能になりました。写真集のような品質要求の高い印刷物にも十分耐えうる印刷方式なのです。

かくして光は写真集の印刷に何とかこぎつけました。かなりの掟破りではあるものの、印刷業界を知り尽くしているからこそ、そして依頼者の要望を何としてでもかなえようという意思があるからこその発想なのだと感じます。

印刷ライフの入り口にどうぞ!

小ロット印刷に特化した特徴をいくつも持っているオンデマンド印刷。少部数の印刷に最適であること、一般に出回るプリンターなどとしくみが非常に近いこと、スケジュールに融通がきくことなどもあり、むしろ一般の方々にとってはオフセット方式よりも格段になじみやすい印刷方式なのではないかと思われます。

店舗型で展開する印刷会社では必ずといってよいほどオンデマンド印刷の設備が容易されているので、急な印刷物のご入用にはぜひチェックしてみてください。あなたの印刷ライフの入り口は、もしかするとオンデマンド印刷なのかも……?

書誌情報

夏川鳴海著.「雨あがりの印刷所」. KADOKAWA/メディアワークス文庫(2017)

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