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「印刷モノ」をレビューする! 第4回:「不思議な少年 第44号」前編

印刷が物語のキーになる#印刷モノのレビュー、第4回です。
今回取り上げるのは、マーク・トウェインの『不思議な少年 第44号』。これまでの例にもれず、トウェインも印刷工として働いた経験があったようです。
それではどうぞ。

あらすじの前に 初出について

この作品には初出をめぐってちょっとした騒ぎがありました。

トウェインはこの作品を晩年まで何度も書き直しており、舞台や登場人物名・ストーリー等が異なる3つのバージョンが存在していました。しかし、結局3つとも完成には至らず、彼は1910年に亡くなります。

トウェインの死後、彼の伝記を執筆した作家アルバート・ペインがトウェインの遺した原稿を整理していたところ、この3つの未完の原稿を発見します。ペインはこれらをつなぎ合わせ、一部は彼が創作してまとめ上げました。これがトウェインの遺作として“The Mysterious Stranger: A Romance”のタイトルで1916年に刊行されます。しかしながら、ペインが手を加えていたことは刊行当時秘匿され、トウェイン自身による作品として発表されたのです。

刊行から50年近くたって1963年、カリフォルニア大学に保管されていたトウェインの自筆原稿集をとある学者がたしかめたところ、上記のペインによる編集が発覚。その後、自筆原稿集の中の“No. 44, the Mysterious Stranger”というバージョンをトウェインのオリジナル作品として、カリフォルニア大学出版局が刊行しました。

日本では3度邦訳され、岩波書店版・KADOKAWA版・彩流社版の3つがありますが、岩波書店版はペインが編集したもの、残りの2つはカリフォルニア大のものが底本となっています。ここではKADOKAWA版のものを取り上げていきますね。

あらすじ

舞台は1490年、オーストリアのとある村。語り手のアウグストは印刷工の見習いで、教会に隠れて古城で印刷工場を営むシュタイン家に仕えていた。

ある冬の日、シュタイン家の戸口に見知らぬ少年があらわれ、自身を「第44号、ニューシリーズ864962」だと名乗る。印刷工たちは彼を囚人なのではと疑い追い返そうとするが、慈悲深いシュタイン家の主人は彼を家に招き入れ、住み込みで雑用の仕事をさせることにした。

44号は印刷工たちからいじめ・いやがらせを受けるが、本人は気にするそぶりを見せず仕事に打ち込んでいた。はじめアウグストは仲間外れを恐れて44号を助けなかったが、とうとういたたまれなくなり、夜中に44号の部屋をたずねる。アウグストは44号を前にして罪悪感から言葉も出ないが、44号は彼を歓迎し、責めることはしなかった。しかし、アウグストは44号が何か不思議な力を持っていることに気が付く。44号はアウグストが飲みたいといった赤ワインをどこからか取り出し、アウグストが心の中でつぶやいた言葉に対して返事をしてみせたのだ。

44号が熱心に働き続けたことで、シュタイン家の主人は彼を印刷工の見習いとすることに決める。44号は工場に足を踏み入れるが、意地の悪い印刷工たちは彼に何も教えないまま仕事をやってみろと命じる。皆の前で44号を助けるわけにはいかないなか、アウグストは先日の出来事を思い出し、心の中で仕事の手順を思い浮かべる。すると、44号は一度もやったことのない仕事を見事にこなしてみせた。その後も印刷工たちのいじめは続くが、44号はそれらをすべてかわし続けた。

業を煮やした印刷工たちは「44号を解雇しなければ仕事をしない」として、シュタイン家の主人にストライキを通告する。ちょうど印刷工場には大きな仕事が入ってきており、主人にとっては工場を止めるわけにはいかない状況だった。ところがある日、印刷工場に印刷工たちとそっくりな「複製」があらわれ、「本物」に代わって仕事を進めてしまう。

「複製」たちは仕事だけではなく、食事や飲み物、果ては恋人まで「本物」と取り合って争うようになる。アウグストは44号に対して周囲を困らせるようなことはやめたほうがよい、といさめるが、44号は聞く耳を持たなかった。とうとう44号は自分は人間ではないと述べ、アウグストを連れて過去へ旅立つ。

44号がアウグストに見せたのは、村で一番の権威を持つ神父アードルフの過去だった。アードルフはある冬、川で溺れていたところをヨハンという名の画家に助けられる。ところが、寒い中無理をしたヨハンは視覚・聴覚を失い、話すこともかなわなくなった。ヨハンの母親は悲しみのあまり発狂し、魔女として捕らえられた。捕らえられた彼女を火あぶりの刑にかけたのは、誰あろう神父アードルフだった。

人間の不条理さをアウグストにつきつけた44号は、人間の尊厳をなんとも思わない態度を露わにするのだった……

「印刷モノ」ポイント

今回の作品で取り上げられている「印刷」は活版印刷。活版印刷とは金属活字を並べて文字組の版をつくり、この版にインキをつけて紙に転写する、という技法です。以前の記事でご紹介してきたオフセット印刷や石版印刷よりもだいぶ原始的ですが、そのぶんイメージもしやすいのではないでしょうか。

欧文の活版印刷は火薬・羅針盤と並んでルネサンス三大発明の一つとして数えられており、ドイツのグーテンベルクが15世紀半ばに発明したものだと考えられています。この作品の時代設定が1490年ごろですから、当時としては最先端の産業になりますね。

ちなみに、グーテンベルクは活版印刷機の発明にあたり、紙を版に押し当てる仕組みについてワインの製造に用いられるブドウ絞りの機械からヒントを得たといわれています。

(画像内出典 左:Adobe Stock 316160338 右:”The Wine of Akrotiri” by Klearchos Kapoutsis is licensed under CC BY 2.0.

2つの機械を見てみると、よく似たハンドルがついているのがわかりますね。

「この子はゲラだ」?

トウェインは印刷工場や新聞社で植字工として勤めていたことがあったためか、作品内では活版印刷のシーンがよく取り上げられています。ただそれだけでは飽き足らず、語り手のアウグストにとある女性のことをわざわざ活版印刷の用語で述べさせています。

―――
……(中略)……そしてこの子はいま十七歳になるのだが、いわば厄介者だった。というのも、母親そっくりだったからだ。――朱筆を入れないゲラ刷りであって、修正も訂正もしておらず、ひっくり返った活字や、フォント違いの活字、植え落ちや、ダブリもそのまま一杯あるゲラ刷りだ。印刷所の用語を使えばそんなことになる。――つまり一口で言えば、パイ・・(ごっちゃ活字)なのだ。
―――
マーク・トウェイン著、大久保博訳.「不思議な少年 第44号」. KADOKAWA(1994)、p.17
()内は訳者による

朱筆(しゅひつ)とは修正・訂正の指示のこと。修正・訂正の指示を朱墨で書いていたことから由来しています。今でも印刷・出版業界では「赤字」という言い方で残っていますね。ただ、朱墨は中国や日本で使われていたものなので、これはあくまで日本語での表現です。原文ではまた違った表現なのでしょう。

ゲラ刷りは印刷物における試し刷りのことを指しています。活版印刷では金属の活字を木箱に入れて文字を並べていくのですが、この木箱のことを「ゲラ」と呼び、木箱に文字を入れた状態で試し刷りとして刷ったものを「ゲラ刷り」というのです。

……そもそもなぜ木箱が「ゲラ」なのでしょうか? 語源となったのは、中世ごろまで地中海域でよく用いられたガレー船;galley。櫂(オール)を用いて人力で漕いで航行する木船です。活字を入れる木箱がこのガレー船に似ているとのことで“galley”と呼ばれるようになり、日本に入ってくる際になまって「ゲラ」という発音にすり替わったようです。

galley / gera © 2022 by www.nik-prt.co.jp is licensed under CC BY-SA 4.0
(画像内出典 左:”Venetian Galley with rowing slaves, wooden model” by MyriamThyes is licensed under CC BY-SA 3.0. 右:”Wooden galley” by edinburghcityofprint is licensed under CC BY 2.0.)

木でできていて平べったく、中が船員/活字でぎっしりと詰まっている……見ようによっては似ているかもしれませんね。現在主流のオフセット印刷ではこの木箱はお役御免となっていますが、「ゲラ」という言葉じたいは「印刷における校正物」をさす用語として残っています。

最後のパイ(ごっちゃ活字)とは……どうやら一般的な表現ではないようです。もろもろ検索してみたところ
“pi the type”:活字を書体も並びもばらばらにして組むこと
“printer’s pie”:不規則、不統一に組まれた活字
などのイディオムがヒットしました。とにかく、きちんと組まれていない活字のことだと考えればよさそうですね。翻訳者の苦労がうかがえます。

まとめると、誤字脱字だらけで体裁もでたらめな試し刷りだというわけですね。時代は違えど、こんなゲラをお客様に持ってくるような印刷会社は即クビでしょう……アウグストはこの女性を相当軽蔑しているのがわかります。

なぜ「印刷」なのか……? 次回に続く

「あらすじの前に 初出について」でも書きましたが、この作品は当初3つのバージョンが存在していました。しかし、印刷工場が舞台になっているのは3つのうち最後のバージョンのみ。トウェインはなぜ最後のバージョンで「印刷」を取り上げたのでしょう? ここからは推測になりますが、この作品が持つ2つのテーマが「印刷」と深くかかわっているからではないかと考えています。

今回も長くなってしまったので、続きは後編にてご紹介とさせてください。2つのテーマが何なのか、みなさんもぜひ予想してみてくださいね。

後編の記事はこちらよりご覧ください。

書誌情報

マーク・トウェイン著、大久保博訳.「不思議な少年 第44号」. KADOKAWA(1994)
※版元品切れのため、KADOKAWA様ならびに書店様へのお問い合わせはご遠慮ください

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