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「印刷モノ」をレビューする! 第9回:「連環」 前編

印刷が物語のキーになる#印刷モノのレビュー、第9回をむかえました。

今回は松本清張の『連環』をご紹介します。第2回の『鬼畜』でも触れましたが、松本清張は印刷会社に勤務した経験からか、登場人物の職業が印刷会社勤務となっている作品が多くみられます。特に『鬼畜(1957)』と『連環(1961)』はほぼ同時代の作品なので、両者を比較しながら見ていきましょう!

それでは、あらすじのご紹介からはじめます。

あらすじ

笹井誠一は大学卒業後に東京のとある会社に就職したが、会社の金を横領したことでクビとなった。笹井は九州に勤めている銀行勤務の同級生池野をたずね、働き口を紹介してもらえないかと頼んだ。池野は出入りの印刷会社の主人下島豊太郎に口利きをし、笹井は印刷屋「南栄堂」で経理として勤めることとなった。

下島豊太郎はたたき上げの仕事人間で、印刷工や営業マン、そして笹井をふくむ経理の人間にもたびたび怒鳴り散らすような人使いの荒い人物だった。笹井は要領をつかんでしだいにうまく立ち回るようになるが、本心では職場に辟易としており、いつか南栄堂の資金を自分のものにして東京に戻る心づもりでいた。

笹井は計画を遂行するため、まず主人の妻で出納係の滋子を篭絡して主人を殺そうと持ち掛ける。さらに主人の愛人である藤子にも近づき、結局主人と藤子をまとめてガス漏れによる事故に偽装して殺害する。未亡人となった滋子に笹井は入れ知恵をして南栄堂を会社まるごと同業に買い取らせ、できた金二千万のうち七百万を受け取って東京に戻る。残りの千三百万は滋子にいったんあずけ、半年ほどたってから東京で落ち合おうと約束をした。

東京に戻った笹井はしばらく気楽な生活を楽しんでいた。一方滋子のところには南栄堂で職長を務めていた笠山が金の無心に来ており、笹井にも手紙で彼と滋子の関係に気付いていることをほのめかしていた。また、亡くなった主人と滋子の間には一郎という幼子がおり、彼は二人の逢瀬を目撃していた。しだいに滋子と一郎の存在は笹井にとってアキレス腱となる。

笹井は元手の金で何か商売を始められないか探しているうちに、同じアパートに住んでいた和久田という男からわいせつ本の出版を持ち掛けられ、地下出版の会社を立ち上げる。わいせつ本の出版は警察に見つかれば発禁処分となるリスクを抱えながらも、見つかる前に売り切ってしまえば高い利益が望める商売であった。はじめに出版した本は6,000部を無事売り切り、弾みをつけた笹井はさらなる資金を求めて滋子に連絡をとる。

しかし、滋子は貧しい親戚からの金の無心にあって持ち金を少しずつ手放していたうえ、泥棒にも入られており、笹井がいざ滋子と一郎を東京に呼び寄せたときには一文無しとなっていた。金づるとしての存在価値を失った滋子と一郎はもはや足手まといでしかなく、笹井は二人を千葉の鋸山に連れていき滋子を始末する。しかし、一郎の方は見失ってしまった。

その後笹井は地下出版の事業に邁進するものの、笠山が東京に越してきたことで、自分の過去が明るみになる恐れを振り払えないでいた……

印刷モノポイント

『鬼畜』と同じようで違う舞台設定

今回の主人公笹井は印刷会社南栄堂で経理職についています。まずは彼が勤めていた南栄堂の様子を見てみましょう。

―――
 南栄堂は、九州の北部でも大きな印刷所だった。
 活版機械は二十台ぐらいある。ほかに半截はんせつのオフセットを二台持っていた。
(……)
 活版機械が二十台、オフセットが二台という工場を、自分の住居といっしょにしていたのだった。つまり、階下が工場で、二階が家族のいる部屋。それと紙の倉庫とがあった。事務所といえば聞こえはいいが、実は、店の入り口にまだ畳敷きで大福帳でも出していそうな帳場があった。……
―――
松本清張著.「松本清張全集12 連環・彩霧」.文藝春秋(1972)、p.5

おお、『鬼畜』と同じく印刷所とその主人の自宅が一緒になっているパターンですね。一方で細部の設定には少し違いがあります。

まず印刷所の規模です。『鬼畜』に登場していた宗吉の印刷所は夫婦と職人4人の計6人で回しており、作中で言及されていた機械の数も一桁に収まるほど。対して南栄堂は機械がまず計22台、別の頁では職員も計70人ほどいるとの記載がありました。これなら確かに地域でも指折りの大きな印刷所になりそうです。

当時の機械は現在のオフセット印刷機などよりだいぶ小さいとしても、1台につきシングルベッドぐらいのスペースは必要になったでしょう。そんな規模の工場に家がついているとなると結構なレアケースかもしれません。南栄堂は主の豊太郎一代で大きくなったようなので、初めは小ぢんまりとしていた工場を勢いそのままに機械を増やして増改築を繰り返したのではないでしょうか。

もうひとつ、機械の種類:印刷方式にも注目しましょう。宗吉の印刷所は石版印刷機が主力だったのに対し、南栄堂の主力は活版印刷機。石版印刷は版を職人自らが手作業で描くという都合上「絵柄」の印刷に向いています。実際宗吉が得意としていたのは醤油瓶のラベルでしたね。一方活版印刷は金属活字を用いることでまさしく「文字」の印刷に適した印刷技術です。よって南栄堂は書籍や新聞など「文字もの」の仕事が中心なのだと推察されます。

もちろんどちらの印刷方式も、当時普及しはじめていたオフセット印刷とくらべれば古いテクノロジーだということになります。時代の波に乗り切れていないところは共通しています。

ほか、大福帳とは江戸時代~明治時代の商人が使っていた帳簿のことです。もちろん『連環』は昭和のお話ですから、当時の感覚から見てもかなり古風な雰囲気がただよう事務所だということですね。総じて大きな工場だけれど、どうしても古くさい……という印象が全面に出ています。このあたりの描き方は東京の会社に勤めてから九州へ都落ちしてきた笹井の視点からくる色眼鏡もあるのかもしれません。

↑大福帳
Okuhidashuzo-004” by 杉山宣嗣 is licensed under CC BY-SA 4.0.

また、ここでは出てきていませんが南栄堂での笹井の月給は12,000円ほど。作中の時代設定は昭和30年代、かつ『連環』が発表されたのが1961年ということで、1955(昭和30)~1961年の期間の水準に照らすとどんな具合なのでしょうか? 東洋経済新報社の『完結昭和国勢総覧』によると、同期間の出版印刷業に属する30人以上の事業所における1人平均月間現金給与額は下の表の通りです。あわせて大卒男子初任給の推移も記載しています。

笹井は前職で3年勤めた会社を退職して南栄堂に就職しているわけですが、12,000円という査定はほぼ新卒同然の扱いであることがわかります。もし1960~61年の時点であれば初任給をも下回るかなり厳しい金額だということになりますね。こうした南栄堂の環境は笹井の野心を駆り立てていくのです……。

笹井の野心の行方は……後編へ!

笹井は古くさい職場で安月給に甘んじながらも、いつかまた東京に戻って身を立ててやろうという思いは消えないままでした。元来手段を選ばない性格なのか、笹井はさまざまな策をめぐらせていきますが、ここにもやはり印刷が絡んできます。

笹井の野心はいかに実を結ぶのか? 後編もぜひご期待ください!

書誌情報

松本清張著.「松本清張全集12 連環・彩霧」.文藝春秋(1972)

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