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「印刷モノ」をレビューする! 第2回:「鬼畜」

印刷が物語のキーになる#印刷モノのレビュー、第2回になります。
今回は松本清張の「鬼畜」。友人の検事から聞いた話がもとになって練り上げられた短編小説で、これまで三度にわたって映像化されています。
また、松本自身は印刷会社に勤めていた経験があったことから、彼の作品には印刷工が登場するものがいくつかあるようですね。
それではあらすじの紹介から……

「鬼畜」あらすじ

主人公の竹中宗吉は石版印刷の職人。妻のお梅とともに住み込みで数々の印刷所を転々として経験を積み、32歳にして独立、印刷所の主となった。宗吉は寡黙で気弱ながら職人としての腕は確かであり、評判を集めた印刷所の稼ぎは次第に大きくなる。

あるとき宗吉は飲み屋の菊代という仲居と親しくなる。気が強く少々きつい顔立ちのお梅とは対照的に、菊代は外見・性格ともに柔和で、宗吉は菊代に惹かれていく。宗吉はとうとう菊代と関係を持ち、彼女との間に8年間で3人の子を持った。そのころの彼の稼ぎは、彼女と子どもたちの生活費を賄うのに十分だった。

しかし、宗吉の印刷所が火事を被ったことや、より近代的な設備を持つ印刷会社が近場にできたことで、彼は菊代と子どもたちの暮らしを支えるのが苦しくなる。窮乏する菊代は宗吉をなじり、ついに不倫がお梅に露見。菊代は子どもを置いて失踪したため、宗吉が預かることとなった。

お梅は3人の子どもの顔をのぞき、宗吉に訊いた。「これは、あんたの子かえ?」「似てないよ」宗吉は疑念をぬぐえなかった。当然ながらお梅は3人を邪魔者扱いし、面倒を見ようともしなかった。

ある日宗吉は、末っ子の庄二が顔に毛布がかかって窒息死しているのを発見する。事故として片づけるには状況が不自然であり、宗吉はお梅の仕業ではないかと疑う。お梅は厄介払いができたといった様子で、宗吉はお梅におびえながらも、奇妙な安堵をおぼえていた。しかし、庄二が死んだ夜、お梅は残り2人を始末するよう宗吉に迫る……

「印刷モノ」ポイント

今回は主人公がドンピシャ印刷工。ただ、宗吉の印刷所で扱っているのは現在ではあまり見かけない「石版印刷」という方式の印刷です。

オフセット印刷のご先祖様、石版印刷

前回の「世界をだました男」でも書いた通り、印刷機の基本のしくみはハンコにインキをつけて紙に転写する、というもの。石版印刷とはこのハンコにあたる版を石灰石でつくるやり方で、実は現在主流のオフセット印刷にも通じる印刷技術です。ざっくり説明していきましょう。

まず、石灰石の表面に金剛砂(こんごうしゃ)という研磨剤をかけ、その上から小さな石版や金盤を使って石を磨き上げます。磨き終わったら、クレヨンやダーマトグラフなどの油性画材で絵や文字を描きます。その上にアラビアゴムと硝酸を混ぜた液を塗ります。すると、画材で描画した箇所(画線部)は画材の油・石灰石のカルシウムと化学反応を起こし、親油性の成分(脂肪酸カルシウム)に変化します。一方非画線部は親水性の成分(酸化カルシウム)に変化します。

以降のしくみはオフセット印刷と同じ。版に水→インキの順で塗っていくと水と油の反発作用が起こり、水は非画線部のみに付着し、インキは水がついた非画線部には乗らず、画線部のみに付着します。こうして版ができあがり、この版を紙に転写することで、印刷物ができあがります。

「水と油の反発作用を利用する」というポイントは石版印刷の画期性であり、のちのオフセット印刷にも引き継がれた要素でもあります。

石版印刷以前の印刷技術として代表的なものは「凸版印刷」と「凹版印刷」。前者は版に凸部分(出っ張った部分)をつくり、そこにインキをつけて紙に転写する方式で、いわゆるハンコと全く同じ原理になっています。後者は逆に版に凹部分(へこんだ部分)を作ってインキをつける方式です。

石版印刷・オフセット印刷は上記の反発作用を利用するため、版にほとんど凹凸ができません。そのため、石版印刷とのちのオフセット印刷はまとめて「平版印刷」としてひとくくりに分類されることがあります。

ただし、石版印刷とオフセットが異なる点として、版の向きがあげられます。オフセット印刷は一度ブランケット胴を介してから紙に転写するので、版と印刷物の向きはイコールになりますが、石版印刷は版を直接紙に転写するため、版と印刷物が鏡映しになります。この点は前述の凸版印刷・凹版印刷と共通する部分です。

なお、石版印刷の技法は「リトグラフ」とも呼ばれ、19世紀ごろからヨーロッパにて版画の製作に用いられてきました。代表的なものでは、ロートレックの『エルドラド』やミュシャの『ジスモンダ』などのポスターがリトグラフで製作されています。

ロートレック『エルドラド』(1892)
出典:Wikimedia Commons User:Maltaper

それまでの西洋美術において一流の芸術作品としてみなされていたのは、フランス王立のアカデミーで学んだ芸術家による保守的・貴族的な絵画や彫刻たちでした。しかし、鮮やかな多色印刷を可能にしたリトグラフの登場により、それまで単なる宣伝用の掲示物であったポスターという媒体が19世紀のパリの文化を彩る存在となり、芸術作品としての地位を格段に向上させます。こうして芸術というものが権威・様式からはなれて民主化したことは、ほぼ同時代の印象派や後のキュビズム・フォービズムにつながる美術史上の転換点でもありました。石版印刷の技術は芸術分野にも多大な影響を及ぼしていたのですね。

さて、『鬼畜』における石版印刷の話に戻りますが、印刷の技法としてはやはりアナログな印象を持ったのではないでしょうか。実際ほとんどの工程は手作業でまかなわれており、文字通り職人の仕事であることがわかります。

ほか、石版印刷にて版に使われる石灰石は当時としては高価なものだったので、ほぼ必ずリサイクルされていました。一度版になった石灰石の表面を削り、もとの絵柄を消してもう一度まっさらにします。これを繰り返していくうちに石灰石は薄くなり、割れて石ころになってしまいます。ここまでくると再利用はできないので、ようやく新たな石灰石を仕入れて版にするのです。

実はこの石灰石の石ころが、物語の結末の鍵となります。短い作品なので出し惜しみするのも変ですが……ネタバレは極力回避していきますね。

小さな工場、小さな機械、小さな印刷物

ここで小説にて描かれる宗吉の印刷所の様子をみてみましょう。

―――
 設備は中古の四截機械一台であった。が、これは、ラベルのような小物を刷るには恰好であった。石版印刷の上りは、色版という製版技術が効果を左右する。宗吉の腕は多年諸方を渡り歩いて鍛えているので、刷上がりは見事であった。
 初めは市内の大きな印刷所の下請けをやった。直接の得意の無い新規の悲しさには、そんな仕事しかなかった。儲けの幅は極めて少い。
 しかし、宗吉の職人気質の緻密な仕事ぶりが気に入られ、大きな印刷所では、小物はあすこでなければならないということになり、下請けながら注文はしだいに殖えてきた。そうなると、宗吉も気が乗って、朝から夜の十時ごろまで働いた。職人の機械方一人と、刷版の製版工一人だけで、あとは見習小僧二人という極めて少人数の経営にした。毎晩のように夜業をした。
―――
松本清張著.「松本清張映画化作品集 2 鬼畜」双葉文庫(2008)、p.122-123

四截機械(よんさいきかい)とは印刷機の種類の一つ。聞きなれない言葉かと思うので、解説をはさみましょう。

別の記事でもご紹介したとおり、通常の印刷機はまず「原紙」と呼ばれる大きな用紙に印刷を行い、印刷が終わってから実際の印刷物のサイズに断裁して仕上げます。では四截機械はというと、まず原紙を四分の一サイズに断裁し、断裁した紙に印刷を行います。印刷が終わり、また改めて実際のサイズに断裁して仕上げるのです。

なぜわざわざ先に紙を断裁するのか? そしてこれが「ラベルのような小物を刷るには格好」とはどういうことなのか? これも解説が必要ですね。

まず、大きな原紙に印刷するためには、版も大きなものを作る必要があります。例えばA判の原紙の寸法は625mm×880mmですから、版もそれに応じたサイズで作ることになります。

宗吉の印刷所の主力製品はラベル。引用部には出てきませんが、醤油瓶などに貼るラベルのことです。ここではラベルのサイズを90mm×200mmと仮定しましょう。余白を十分にとって印刷しても、A判の原紙からはラベルが24枚印刷できることになります(実際の当時の石版印刷ではもっと余白をとって印刷していたかもしれません)。

なお、このように1枚の原紙に複数点/複数頁の絵柄を入れることを「面付け(めんつけ)」と呼びます。

しかし、これでは版にラベルの絵柄を24枚描かなければなりません。石版印刷の版は先ほどご紹介したとおり全て手作り。腕利きの宗吉でも、24枚も描いていたら一つ一つの版の出来上がりにばらつきが出て、もしかしたら1枚ぐらいは書き損じが発生するかもしれません。

ではA判の原紙を四截して印刷する場合はどうなのか。四分の一に断裁すると、原紙のサイズは312mm×440mm。この寸法だと、1枚にラベルが6枚入ります。

これなら、ラベルの絵柄は6枚描くだけで済みます。紙を断裁する手間を考慮しても、だいぶ効率がよいのが想像できますね。

版をつくるのが大変だからこそ、そして印刷するものが小さいからこそ、宗吉の印刷所には四截機械がぴったりだったのです。このあたりの丁寧な描写は、松本清張の印刷工時代の経験が活きているのでしょう。

イノベーションに追い詰められた宗吉

町の小さな印刷所が丁寧な仕事で評価され、評判を集めていく……なんだかありきたりではあるものの、宗吉の商売は順調に大きくなりました。設備投資も進み、ついに小型のオフセット印刷機を2台導入しています。

しかし、あるとき印刷所が火事に巻き込まれたことで、宗吉は前述のオフセット印刷機を含むすべての設備を失ってしまいました。少ない貯金から旧式の石版印刷機を購入してなんとか立て直しをはかったものの、近くにライバルとなる大きな印刷会社が進出したことで宗吉は決定的なピンチに陥ります。

―――
 次には近代設備をした大きな印刷会社がその市にできたことだ。技術も優秀だった。旧い型の職人の技術しかない宗吉の印刷がその競争に負けるのは当然であった。彼の商売はしだいに顚落した。
―――
同上、p131-132

「近代設備」とは……文中では明らかにされませんが、『鬼畜』が発表されたのが1957年であることを考えると、これもおそらくオフセット印刷機のことでしょう。また、わざわざ「近代」とあるので、宗吉の印刷所にあったものよりもずっと大型の機械だったのかもしれません。

『世界をだました男』でも説明したとおり、オフセット印刷によって印刷物はより大規模かつ高速での生産が可能になり、印刷の精度も向上しました。このイノベーションを大いに活用した商売敵により、宗吉は追い詰められていくことになります。

この作品でとにかく強調されているのが、彼が口下手であること。それでも石版印刷の職人としては高い技術を持っていたので、それを信用してお客さんはついてきてくれていました。しかし、大規模な先進設備を備えた商売敵の前では、宗吉はただの口下手で時代遅れな職人でしかありません。

仕事ではお得意様がはなれていくのを止められず、私生活では仕送りが少なくなったことをなじる菊代に何も言い返せず……ほどなく菊代との不倫もお梅に知られることとなりました。こうして宗吉は追い詰められ、破滅を迎えるのです。

印刷業界は、今また曲がり角に

この作品の肝は「善良な宗吉がいかにして幼い子どもを見捨てる『鬼畜』となったのか」という人間の暗部の描写ですが、その前段となる物語の転換点に印刷におけるイノベーションがあった、というのが意義深いところです。

なお、『鬼畜』は三度にわたって映像化されていますが、初めて映像化された松竹映画版(1978年)では舞台が1970年代に改変されており、宗吉の印刷所の主力機は石版印刷機ではなく小型のオフセット印刷機に変更されていました。一応石版印刷機もまだ残っており、確かに機械や石灰石は置いているようなのですが、ほとんど活躍している様子はなく、劇中でも「今時珍しいねえ」と述べられているほど。この映画版の改変のおかげで、50年代から70年代の間にかけてオフセット印刷機が業界を大きく変えたことがわかります。

では、オフセット印刷機が普及した以降の印刷業界はというと……日本の印刷市場の規模は1990年代初頭にピークを迎え、デジタル化の波を受けて長きにわたり縮小の一途をたどっている状況。一方で印刷物にまつわるニーズは多様化しており、特殊な素材・加工を用いた製品や環境配慮に対応した製品、デジタルメディアとの連動など、印刷物にとって新たな活躍の場も生まれつつあります。こうした事業環境の変化にともない、各社がお客様からの多様なニーズにお応えできるよう日々チャレンジを続けています。

令和の宗吉を誕生させないためにも(?)、印刷業界の今後を温かく見守っていただければ幸いです。

書誌情報

松本清張著.「松本清張映画化作品集 2 鬼畜」双葉文庫(2008)
※版元品切れのため、双葉社様ならびに書店様へのお問い合わせはご遠慮ください

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