「するする」は、印刷のあれこれをするする読んで楽しんでいただけるよう、「1記事が6分半で読める」をコンセプトに日経印刷が運営する暇つぶしのメディアです。

メニュー

検索する

×
息抜きする息抜きする

「印刷モノ」をレビューする! 第9回:「連環」 後編

前回に引き続き、松本清張の『連環』をご紹介していきます。あらすじは前回をご覧ください。

こちらの作品も一度だけドラマ化されているのですが、原作とは違いまず物語の結末を明かしてから始まるかたちになっているのだとか。どこかで観られないかな、と探してみたのですが、DVDや配信等はおろかVHSでも出ていないようです。再放送されるのが先か、それとも新たに映像化されるのが先か……気長に待つとしましょう。

それでは後編をどうぞ。

印刷モノポイント

紙倉庫からはじまった笹井の計画

笹井はまず東京へ打って出るために、南栄堂の資金をわがものとすることを決めました。理想は何らかの手段で南栄堂をまるごとお金に換え、それを自分が受け取るかたち。そこで笹井は主人の妻である滋子に接近します。

滋子は主人豊太郎の妻として南栄堂の出納係を務めていましたが、実態は名ばかりの立場で印刷まわりにも疎く、事務所にただ座って過ごすだけの存在でした。おだやかな性格であることも災いして、豊太郎は滋子を差し置いて藤子という公認の愛人を持ってしまうほど。笹井は滋子と組めば豊太郎を追い出して南栄堂を身売りできるのではないか……という目論見を立てました。

豊太郎が不在のある日、笹井は紙の在庫が帳簿の記録と合わないから確かめてほしい、という口実で滋子を紙倉庫に呼び出します。

―――
「今、工場から、模造の八十きんを二連ほど出してくれ、と言っていますが、どうも、帳面と数が合わないんです。ちょいと来て、見ていただけませんか」
―――
松本清張著.「松本清張全集12 連環・彩霧」.文藝春秋(1972)、p.12

模造とはもちろん模造紙のこと。もともとは和紙に似せて製造された洋紙であることからこの名がついています。本来は製図などに使われる用紙ですね。

筆者の世代では右の写真のような「模造紙」が小~中学校の「総合的な学習の時間」によく登場していた覚えがあります。今はタブレットで代用されているのでしょうか……? 南栄堂では梱包用の用紙として使われているようです。

そして、八十斤を二連……これは紙の厚さと枚数を示す印刷業界の符丁で、現在でも少々形を変えて残っています。以前の記事でも軽く触れたところですが、いろいろな前提が省略された言い方でもあるので、改めてここで説明していきましょう。

まず後ろの「二連」とは紙の枚数のこと。紙1,000枚をひとまとめにしたものを「一連」といいます。ここでは2,000枚ということになります。

はじめの「八十斤」は紙の重さ・厚さにあたる部分です。「雨あがりの印刷所」の記事でもご紹介しましたが、印刷業界では紙の厚さを紙の重さであらわすという習慣があります。

斤は尺貫法における重さの単位で、現在でいう600gに相当します。八十斤であれば48,000g、つまり48kgになります。ここでちょっと大事な前提が省略されているのですが、この48kgとは紙を1,000枚重ねたときの重さです。先に紹介した「一連」の数え方が絡んでくるわけですね。

とはいっても、紙のサイズが違えば1,000枚重ねたときの重さも違うのでは……? そう、実はさらに一つ前提が省略されており、特に言及がないかぎりたいていは四六判サイズ(788mm×1,091mm)を1,000枚重ねたときの重さをあらわしています。四六ベース、あるいは四六判換算などといったりすることが多いでしょうか。

引用中に登場する模造紙は現在でも四六判サイズで販売されていることがほとんどですから、ここでいう「八十斤」も十中八九四六ベースの重さなのだと思われます。

ということで、「八十斤を二連」を省略されている部分もすべて表に出すと

四六判サイズ(788mm×1,091mm)を1,000枚重ねたときの重さが八十斤(48kg)になる厚さの紙が2,000枚

という言い方になります。

……長いですね。というわけで、
①紙の厚さは1,000枚重ねたときの重さで区別する
②①の重さは四六判の紙の重さとする
という2つの前提部分を省略した「八十斤を二連」が業界での符丁になっています。

今ではさすがに重量を「斤」で数えることはないものの、「48キロを2連」と言えば現代の印刷会社でもほぼ確実に通じるのではないでしょうか。厚さのイメージとしてはコピー用紙あたりになるかと思います。

引用部に戻りますが、笹井が言う「紙が足りない」というのは実は嘘。事務所にいる滋子を紙倉庫に呼び出す口実として適当なことを言っているだけです。滋子は出納係といっても名ばかりの立場で紙の知識もないため、「八十斤を二連」といっても何のことかわかりません。こうして人目につきにくい場所で滋子と二人きりになった笹井は、大胆にも彼女を口説きはじめるのです。

笹井はその後何度も紙倉庫に滋子を呼び出し、親密な関係を築くようになります。巧みな話術で滋子のなかにある主人豊太郎への不満を引き出し、主人を裏切って南栄堂を身売りするようそれとなく誘導していきました。そして、豊太郎と藤子の二人をガス漏れによる事故に見せかけて殺害します。主人を失った南栄堂は滋子によって同業の印刷会社に売却され、笹井は念願の資金を手にします。

もし滋子に紙の知識があれば笹井にたぶらかされることもなかった……のでしょうか? 微妙なところですね。

気づいたときにはもう遅い!? 見本で青ざめる笹井

笹井は南栄堂の売却資金の一部を滋子から受け取り、一人東京へ戻ります。しばらく気ままな生活を送ったところで、笹井は金儲けの手段として地下出版社を立ち上げました。今度は印刷会社に発注をする側に回ったということになりますね。

出版のジャンルはずばりわいせつ本……今でいう官能小説でしょうか。当時はこういったものへの風当たりが強く、警察からの取り締まりの対象でもありましたが、見つかる前に売り切ってしまえば大きな売り上げが見込める、まさにハイリスクハイリターンな商売でした。

一冊目の本は無事6,000部の在庫を売り切り、気をよくした笹井は次の出版計画に取り掛かります。部数は大幅増の20,000部。無論部数を増やせば警察に見つかるリスクも大きくなりますが、組版は腕利きでかつ口の堅い活版屋を探し、校正のやり取りは笹井自らが赤字を入れて万全を期しました。

かくして校正が終わって印刷へ進行。後日笹井のもとに見本が届きました。部数の大半はまだ印刷も終わっていないところでしたが、早めに製本まで完了したものを製本所が届けてくれたのです。本を手に取り仕上がりに満足する笹井でしたが、中面を少し読み進めたところでおかしな点に気づきます。このシーンを引用してみましょう。

―――
 笹井は慌ててその前後の文章を見た。前の文章の終わりは男女の接吻の描写で、今の奇怪な文章の次にくる改行は、
「八重子は男の腕を解いた。《わたし仕合わせだわ》と彼女は言った。《わたし、絶対にあなた以外に対象はないわ。ねえ、あなたは本当にわたしを捨てないわね》彼女はそのつぶらな眼で男の枕につけた顔をさしのぞき、頬にやたらに口づけをした」
 なんということだ。これでは全く前後がつづかない。
 つづかないのは当たり前だ。原稿にもゲラにもない字句が挿入されているのだ。
―――
松本清張著.「松本清張全集12 連環・彩霧」.文藝春秋(1972)、p.250-251

なんと、完成した本に組版の校正で見たときは存在していなかった文言が入り込んでいたのです。しかもその文言はただの誤字脱字ではなく、笹井と滋子が南栄堂の紙倉庫で交わした逢瀬のようすにそっくりな文章。さらにほかのページを読み進めていくと、豊太郎と藤子の死因である「ガス」、滋子を始末した「山」など、笹井の悪事にかかわるキーワードがサブリミナル的に登場します。

自分の罪を知っているものがいる……しかも、あろうことか秘密裏に進めてきたはずの地下出版の仕事を妨害することでそれを知らしめてきたのです。ここで笹井は自分をおびやかす敵の存在をはっきりと認識します。

彼はあわてて印刷を止めようと印刷所を訪ねますが、後戻りはきかない状況でした。このあたりは現代の印刷会社でも「あるある」なのですが、見本の段階で何か不具合が見つかってしまうとまず取り返しはつきません。実際には製本まで終わらせたものではなく、刷り出しを見本とすることが多いでしょうか。

刷り出しとは、本番の印刷工程で印刷機から出てきたそのままの中間製品を指します。同じものを指す語として「刷り取り」「一部抜き」などもあります。対して引用で描かれているような製本やその他の加工までひととおり済んでいるものを見本とするときは刷り本と呼ばれています。

刷り出しはあくまで印刷が終わっただけで、製本(折や断裁)やその他の加工にはかけられていません。これをお客様に提出して仕上がりをいち早く見ていただくのが印刷業界の慣習になっています。

ただし、現代の印刷物の製造スピードは『連環』の時代よりも格段に上がっており、よほど部数の多いお仕事でない限り刷り出しが担当営業やお客様に届くタイミングにはたいてい印刷が完了しています。だからこそ、刷り出しの確認・提出はちょっとした緊張がただよう瞬間なのです。

もし何かトラブルが見つかって刷り直しとなれば、あわてて印刷や製本など各工程の予定を取り直し、当初の納品日になんとか間に合わせるために担当営業をはじめ社内の数多くの人間が目を回すことになります。

こういった事態に陥ることのないように仕様の確認を重ね、組版の校正を何度も回し、本番となるべく近い条件で色校正を手配し……限られたスケジュールと予算のなかで手を打ってミスを未然に防いでいくのが印刷会社の仕事ではあります。ただ、笹井のケースのように明確な悪意を持った何者かが手を出してくるのはさすがに想定外でしょうか……。

さて、南栄堂で培った知識と横領したお金で出世を遂げつつあった笹井でしたが、思わぬところで正体不明の敵ににらまれる格好になりました。これはいったい誰のしわざなのか……? 真相はぜひ『連環』を読んでお確かめください!

印刷は立身出世の要……?

今回『連環』とあわせて改めて『鬼畜』も読み直してみたのですが、前編でご紹介した点以外にも共通点や対になるポイントが数多く出てくるので、両作品への理解が一気に深まったように思います。また、主人公の立ち回りのうまさやのし上がっていくようすなどは第1回の『世界をだました男』とも通ずるところがあるかもしれません。

3作品とも1950~60年代が舞台になっており、やはりこの時代は印刷が存在感のある産業だったこともうかがえます。一山当てるなら印刷、という風潮があったのでしょうか。うらやましい限りです。

ただ、いずれの作品も印刷まわりのノウハウがあまり良い方向に活かされていないのが残念……。今後も機会があれば、ぜひ印刷が正義の味方(?)になる作品をご紹介できればと思います!

書誌情報

松本清張著.「松本清張全集12 連環・彩霧」.文藝春秋(1972)

関連する記事

息抜きする

「印刷モノ」をレビューする! 第2回:「鬼畜」

印刷が物語のキーになる「印刷モノ」のレビュー、第2回は松本清張の『鬼畜』を取り上げます。 善良で気弱な主人公はいかにして「鬼畜」となったのか?そのきっかけには印刷があったのです……

息抜きする

「印刷モノ」をレビューする! 第8回:「雨あがりの印刷所」 前編

印刷が物語のキーになる「印刷モノ」のレビュー、今回は『雨あがりの印刷所』をご紹介していきます。タイトルそのままに、印刷がテーマとして前面に打ち出された作品です。

息抜きする

「印刷モノ」をレビューする! 第3回:「永遠も半ばを過ぎて」前編

印刷が物語のキーになる「印刷モノ」のレビュー、第3回は松本清張の『永遠も半ばを過ぎて』を取り上げます。 今はなき「写植」がふんだんにフィーチャーされた作品です。