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「印刷モノ」をレビューする! 第4回:「不思議な少年 第44号」後編

前回に続きトウェインの『不思議な少年 第44号』をご紹介します。
なお、トウェインはこの作品と同時期に『人間とは何か』というエッセイを書いており、登場人物のものの考え方やメッセージ性などが一部共通しています。理解を深めるために、二つをセットにして読むのもよいかもしれません。
あらすじは前回の記事をご覧ください。それではどうぞ。

「キリスト教」、そして「複製」

トウェインがこの作品の最終バージョンを書き下ろすにあたって印刷工場を登場させた理由、すなわち「印刷が深くかかわる2つのテーマ」は、「キリスト教」、そして「複製」ではないかと考えています。どちらも作品内で大きな存在感を放つ要素ですが、読んでいくと「印刷」とも深いかかわりを持っているのがわかります。

キリスト教と印刷、その微妙な関係

この作品を書いたころのトウェインは、キリスト教に対して懐疑的な見方をすることがありました。トウェインの考え方をざっくりいえば、「人間はあくまで精神的欲求で動く機械であり、たとえ人間が誰かを助けることがあっても、それは精神的欲求を満たす自己満足でしかない」というのです。かなりドライな発想ですね。これは人間の「良心」を重視するキリスト教と真っ向から対立するスタンスでもあります。

トウェインが抱えていたキリスト教への懐疑は『不思議な少年 第44号』でもあらわれています。第1章は舞台となる村の教会の人々の姿を描くのにほぼ丸々費やされています。ただし、好意的な描写はほとんどありません。むしろ、聖職者たちは人々に教えを説きながら裏では権力争いに注力する俗物的な存在として、皮肉交じりに描かれています。

では、そんな教会と印刷工場はどのような関係にあったのでしょう? 語り手のアウグストが印刷工場に仕えていることを述べると、すぐさま教会の話が出てきます。

―――
わたしの主人は印刷屋だった。この仕事は新しい技術だ。発明されてからまだ三○年か四○年しか経っておらず(ドイツの活版印刷術の創始者グーテンベルクの没年は一四六八)、オーストリアではほとんど知られていなかった。人里離れたわれわれの村の中でごくわずかな人しか、印刷されたページを見たことがなかった。印刷という技術についてきわめてはっきりとした概念をもっている者はわずかしかおらず、印刷に関して好奇心をもっているか、あるいは興味をもっている者となると、それは恐らくもっとわずかだっただろう。それでもわれわれは、この仕事をするのにある程度、秘密にやらねばならなかった。教会があったからだ。教会は、本が安くなり知識がやたらに普及することに反対していた。……(中略)……
―――
マーク・トウェイン著、大久保博訳.「不思議な少年 第44号」. KADOKAWA(1994)、p.14-15
()内は訳者による

どうやら教会は印刷工場のことをあまりよく思っていないようです。教会はなぜ本が安くなり知識が普及することを嫌がったのか? 実は、印刷技術はキリスト教の歴史を大きく揺るがした存在でもあります。ここからは仮説になりますが、トウェインはそれを踏まえて印刷工場を登場させたのではないか?と考えています。

宗教改革の影のキーマン、活版印刷

まず歴史的事実として、印刷技術とキリスト教の関係を見ていきましょう。この時代(15世紀ごろ)のヨーロッパにおいて最も重要な本、それはずばり聖書でした。聖書が人々の道徳や行動原理のよりどころとなり、社会を形作っていたのです。ところが、活版印刷が生まれるまで聖書は一般の人々がおいそれと読めるものではありませんでした。

それでは聖書はどうやって世の中に普及していたのか。なんと、手書きで複写した「写本」というかたちで出回っていたのです。そのため、ヨーロッパ広しといえど当時流通していた聖書はかなり少なかったようです。また、当時の聖書はラテン語で記述されていたため、一般の人々にはそもそも読めないという問題もありました。

このため、聖書を直接読むことができたのはラテン語に通じている教会の聖職者のみでした。一般の人々にとって聖書とは教会の神父さんから読み聞かせてもらうもので、自分で手に取って読むものではなかったのです。こういった状況のなかで、当時の教会は人々にいきわたる知識をコントロールし、思想を縛ることができました。

そんななか、活版印刷を発明したグーテンベルクは1455年ごろに世界で初めて聖書を印刷で発行します。これは「四十二行聖書」と呼ばれ、ヨーロッパの各地に普及しました。ここから教会をめぐる状況に変化が訪れます。聖書を手に取り自らその教えに触れることで、それまで信頼してきた教会のあり方に疑問を持つ人々が生まれました。この流れを受け、ヨーロッパの各地で宗教改革が勃興します。その代表格が、マルティン・ルターに端を発するドイツの宗教改革です。

ルターは当時の教会が贖宥状(免罪符)を乱発していたことを疑問視していました。贖宥状とは平たく言えば「これを買えばあなたの罪は許され、天国に行けますよ」という証明書で、15世紀ごろから何度か発行されていましたが、いつの間にか教会の安易な資金調達手段として乱発されるようになっていました。ルターはこれを聖書本来の教えとは異なるとして問題提起したのです。

そして、ルターはより多くの人々が聖書の教義に触れられるよう、聖書のドイツ語への翻訳を開始しました。これらのできごとがきっかけになり、カトリックから分離独立した「プロテスタント」という教派が誕生しました。

「四十二行聖書」「ドイツ語聖書」の2つはどちらも活版印刷によって発行されました。また、ルターが糾弾した贖宥状についても、一部は活版印刷が用いられていました。このことから、活版印刷の発明は単なる技術革新ではなく、キリスト教の歴史を動かしたという側面からも重要な出来事として認知されているのです。

(画像内出典 左:”My Man Gutenberg” by Flashpacking Life is licensed under CC BY 2.0.)

話を「不思議な少年 第44号」に戻すと、この作品の時代設定が1490年ですから、グーテンベルク聖書が発行された後、ルターが登場する前になります。トウェインが描いた教会の印刷工場への態度は、その後の宗教改革を示唆しているようにも思われますね。

ちなみに、ルターが所属していた修道会(西方キリスト教会内の組織)は「聖アウグスチノ修道会」といい、名前の由来は古代ローマ時代の神学者アウグスティヌスによるもの。さらに元をたどると、この物語の語り手であるアウグストと同じく「アウグストゥス」という名前がルーツになっています。さすがにこれは偶然かもしれませんが……。

印刷物とは、本物よりも優れた「複製」?

この作品においてもう一つ重要なテーマが「複製」です。物語中盤にて印刷工たちがストライキを企てると、44号は印刷工たちの「複製」を生み出し、「本物」たちのアイデンティティを脅かす事態となりました。

そもそもですが、印刷とは本物(原稿)をもとに「複製」を大量に生み出す、という行為でもあり、訳者の大久保博氏もあとがきにてこの件について触れています。ここからは、「印刷物」と作中の「複製」との類似性に注目してみましょう。

まず、作中の「複製」の定義について、44号は「本物」と対比しながら
「本物」:「日常の自分」。肉体に動きをしばられ、想像力も貧弱な存在。
「複製」:「夢の自分」。実体をもたないが、「本物」よりも優れた想像力を持ち、自由に行動できる。

であると述べています。「複製」たちは想像力次第で「本物」を凌駕する存在になり得るというのです。

―――
……(中略)……うん、あの者たちはじつに有能な連中だ。計り知れないほど大きな想像力をもっているんだからね! もしあの者たちが想像力を働かせて、自分たちには不思議なかせがはめられていて、二行の植字をするのに二時間もかかるのだと考えれば、そのとおりのことが起こる。だがその反対に、ゲラ盆いっぱいの植字をするのに半秒もかからないと想像すれば、それは・・・またそのとおりにもなるんだ! あの一握りの『複製』たちはピカ一の連中だ。本物の印刷工一○○○人にも優に匹敵するものなんだ! うまく扱えば、いろいろとトラブルを起こしてくれるよ」
―――
同上、p.133

ゲラ盆いっぱい……正確な大きさは不明ですが、A2サイズ(420mm×594mm)のポスターぐらいだと考えればよいでしょうか。手作業オンリーの活版印刷でこのスピードは人間の業ではありません。現代のDTPソフトをもってしても厳しい作業です。44号の「複製」はたしかに本物を大きく凌駕しています。

それでは、印刷が生み出す「複製」:印刷物は、本物(原稿)に対してどんな存在なのでしょうか。ここで印刷物というメディアを3つの要素に分けて考えてみましょう。

①印刷物に含まれる情報
②モノとしての見た目(デザイン、読みやすさ、質感など)
③広まりやすさ

①は、本物となる原稿とほとんど変わりはありません。
しかし、②はどうでしょうか。原稿ではただの文字の羅列だったものが印刷物では整理され、目を引くデザイン、読みやすいレイアウト、整理された製品のかたちに生まれ変わります。ここは印刷物が勝っていますね。
③については、印刷物の圧勝でしょう。原稿は一つだけ、しかし印刷物はそれを大量に複製し、方々に普及させることができます。

こうやって見ていくと、「原稿」と「印刷物」の関係は44号が唱える「本物」と「複製」のそれにどこか通ずるところがあるようです。複製は本物ではないけれど、ある側面では本物より優秀で、本物より大きな可能性を秘めている……これを原稿と印刷物にも置き換えても成立するのではないでしょうか?

印刷はあくまで引き立て役!

トウェインがこの作品において「印刷」をどれほど重大な要素だと位置づけていたのかは、今となっては知る由もありません。もしかすると、自分が印刷所に勤めていたときの経験をちょっと盛り込んでおこう、ぐらいの意識だったのかもしれません。そもそも本来の作品としては未完の状態で出版されているため、登場人物の続柄のつじつまがあわないなど、整合性のとれていない部分も一部見受けられます。

それでも、印刷物が動かしたキリスト教の歴史や「複製」をめぐるアナロジーなど、思わせぶりな要素が物語に関与しているのを見ると、トウェインは「印刷」を裏テーマにしたつもりだったのでは……という期待がやみません。

印刷とはコンテンツそのものではなく、あくまでコンテンツを伝えるメディア・手段です。今回の作品のように、バリバリのメインテーマではなくそれらの引き立て役として存在している、という取り上げられ方は、まさに印刷にふさわしいのかもしれません。

みなさんにも、生活の引き立て役になった「印刷」たちを今一度見つめなおしていただければ幸いです!

書誌情報

マーク・トウェイン著、大久保博訳.「不思議な少年 第44号」. KADOKAWA(1994)
※版元品切れのため、KADOKAWA様ならびに書店様へのお問い合わせはご遠慮ください

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