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日経印刷 50年のあゆみ

1964年~1977年

林吉男が一念発起し、証券業界から印刷業界に転身。「日本経済の一角を担う」との志を胸に1964年10月、日経プリントを立ち上げる。タイプライターと謄写版印刷機をそろえて営業を開始し、丁寧な応対を心掛けて徐々に顧客先を増やす。1970年に製版事業に参入し、1975年に日経印刷株式会社に名称変更する。創業9年目にハイデルベルグ社製A全判単色機を導入して以降、オフセット印刷体制を敷設してモノクロ印刷に特化する。

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主な出来事
1956(昭和31)年4月林吉男が山一証券に入社
1964(昭和39)年1月林吉男が山一証券を退社
10月東京オリンピック開催 千代田区飯田橋にて日経プリントとして個人営業を開始
10月ゲステットナー孔版印刷機、レミントン英文タイプ、和文タイプを中古で購入
1966(昭和41)年5月「株式会社日経商会」として株式会社組織に変更*1 資本金100万円
10月B4判オフセット印刷機アドレスグラフマルチグラフ1250Wを導入
1970(昭和45)年2月「日経製版株式会社」を設立 資本金120万円
1971(昭和46)年2月資本金を200万円に増資
11月現在の本社所在地(千代田区飯田橋2-16-2)に移転
1972(昭和47)年5月資本金を500万円に増資
1973(昭和48)年2月千代田区西神田のビルの1Fを借り受け、ハイデルベルグA全判単色オフセット印刷機2台導入
8月資本金を800万円に増資
1974(昭和49)年12月資本金を1,000万円に増資
1975(昭和50)年2月株式会社日経商会を「日経印刷株式会社」に社名変更
1976(昭和51)年8月資本金を2,000万円に増資
1977(昭和52)年3月千代田区飯田橋に本社ビル竣工*2
4月ハイデルベルグ菊全2色両面兼用機を導入 本社ビルに設置
5月板橋区若木に板橋工場を開設*3、西神田、本社の印刷機を集約
ゼロからのスタート 証券マンから印刷業へ

証券会社営業マンとして腕を振るっていた林吉男であるが、飛ぶ鳥を落とす勢いであった証券業界に陰りが見え始め、大家族の生計を支えるために印刷業での起業を決意する。印刷のノウハウも実績もない中、証券業界の知識を生かして大学の証券研究会をターゲットに仕事を獲得しようと、学生服を着用して営業する。徐々に仕事が増え、大手企業との商談が整いつつあった矢先、生産体制の貧弱さを指摘されて交渉が決裂。装置産業として設備投資の重要性を思い知る。

1978年~1992年

製版およびプリプレス工程の拡充を基本戦略とし、モノクロ印刷の受注伸長を図る。生産体制の整備に意を尽くし、1982年に主力工場・深川工場(現・ハイデルベルグフロント)を、1987年にプリンティングセンターを開設し、次々とハイスペックな生産設備を導入。併せてアナログからデジタルへの移行に敏感に対応し、DTPの研究に注力する。また企業理念に沿い、QC活動をはじめとする社内改善活動を活発化させる。

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主な出来事
1980(昭和55)年4月江東区冬木に初代深川工場を開設
1981(昭和56)年1月中央区茅場町に製版専門の八丁堀センターを開設
1982(昭和57)年10月江東区平野に深川工場(現・ハイデルベルグフロント)を竣工*4
1983(昭和58)年6月資本金を4,000万円に増資
1984(昭和59)年2月TQCサークル活動を開始(11グループ)
10月第1回QC成果発表大会開催
11月千代田区内神田に製版専門の神田センターを開設
1985(昭和60)年2月オプチコピー インポーザーカメラシステムを導入*5
3月深川工場に深川営業部を設置、同業者を中心に営業展開
6月営業開発部が発足、将来に向けたビジネスモデルを探る
1986(昭和61)年3月富士ゼロックス ワークステーションJ-Sterを導入、電子組版の先鞭をつける
1987(昭和62)年1月営業開発部をDE課(ドキュメント・エンジニアリング課)とマニュアル営業課に再編
2月江東区平野にプリンティングセンター(略称:PC)を竣工*6
4月新卒社員50名を採用、社員数は1.5倍の150名となる
1988(昭和63)年11月モトヤ レーザーセブンEX電子組版機を導入
11月本社ビル隣の立野ビルに本社営業部が移転
12月翻訳制作室を設立 機械翻訳業務を開始
12月PCにハイデルベルグ A全単色機、菊全2色両面兼用機、A全2色機を導入
1989(平成元)年7月文京区関口にオプチカメラを主力としたP.C.S.早稲田センターを開設
1990(平成2)年5月機械翻訳センターを開設
1991(平成3)年4月アップルMacintoshを導入、DTP業務を開始
1992(平成4)年7月写研 電算システム SAIVERT-P、GRAFを導入
大躍進への助走 モノクロオフセット印刷に特化した設備

最先端の印刷機を積極的に導入し、モノクロオフセット印刷ラインを整えた生産工場を次々と開設する。同時にフィルム製版の需要拡大を受け、製版サービスの出先機関として3つの製版センターを出店する。国内2事例目となるオプチコピーインポーザーカメラシステムの導入により、製版作業の生産性と品質は飛躍的に向上。モノクロページ物に絞った設備投資と営業活動に注力し、成長にドライブがかかる。また、J-starや機械翻訳の研究などに挑戦し、後のデジタル転換への基盤とする。

1993年~2007年

1996年にイメージセッターの1号機を導入し、DTPラインを本格的に構築し始める。同時に製版センターの閉鎖を進め、デジタル化への転換を強力に推進する。1997年に浮間工場を開設すると、四六全判印刷機および無線綴製本ラインを導入、印刷〜製本の一貫生産ラインを整備する。その傍らでカラー印刷の可能性を模索し、2001年、深川工場を増築したハイデルベルグフロントにカラーCTP印刷設備を導入。総合印刷会社への道を開く。

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主な出来事
1995(平成7)年3月資本金を9,750万円に増資
1996(平成8)年1月Windows DTPの専門チームを設立、Officeデータの商用印刷物への利用に取り組む
3月大日本スクリーン製造 イメージセッターDT-R3100を導入、DTP出力業務に対応
12月A1印刷シルバーマスターを2台導入
1997(平成9)年7月北区浮間に浮間工場竣工*7
四六全1色両面機、2色両面機とアジロ無線綴ライン一式を導入
印刷〜製本までの一貫生産体制を構築
2000(平成12)年1月プログラム開発部門を設立、自動組版などへの取り組みを強化する
2001(平成13)年3月深川工場を増築、名称をハイデルベルグフロント*8(略称:HF)と改める
4月ハイデルベルグ菊全判8色両面兼用印刷機導入*9
ハイデルベルグCTPシステム Prinergy、サーマルプレートセッター Trendsetter等を導入*10、CTPによるカラー印刷事業を開始
11月品質マネジメントシステム ISO9001(2000年版)認証取得
2003(平成15)年5月デザイン部門としてクリエイティブ室を設立
12月環境マネジメントシステム ISO14001認証を取得
12月大日本スクリーン製造 CTPシステムTrueflow、サーマルプレートセッター PT-R8800を導入
2005(平成17)年1月トヨタ生産方式を取り入れ、NPS(Nikkei Production System)活動を開始
2006(平成18)年2月プライバシーマーク認定を取得
7月FSC(COC)認証を取得
2007(平成19)年10月ホールディングカンパニー制に移行
総合印刷会社に向けての生産ラインの拡充 浮間工場・ハイデルべルグフロントの誕生

深川工場、プリンティングセンターに続いて浮間工場を竣工。四六全判印刷機、無線綴製本ラインを敷設することにより、印刷〜製本までの一貫生産体制を築く。モノクロ生産ラインの充実を図る一方、デジタル化の進展を機敏に捉え、カラー印刷はもはや勘と経験に頼らない科学的生産が可能になったものと判断。深川工場を増築し「ハイデルべルグフロント」と名付けて生産設備を整え、カラーCTP印刷事業に参入する。ここに総合印刷会社へと転身する第一歩を踏み出した。

2008年~2014年

2008年、日経印刷のシンボルとなるグラフィックガーデンが竣工。環境親和と地域貢献に配慮し、工場見学会や各種セミナーを次々と開催する。2012年にグリーンプリンティング工場に認定され、さらに「第11回印刷産業環境優良工場表彰」にて経済産業大臣賞を受賞。2013年、林吉男が代表取締役会長に、吉村和敏が代表取締役社長に就任。創業50周年を翌年に控え、新経営体制で新機軸を打ち出すべく、次代の日経印刷に向けて発進した。

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主な出来事
2008(平成20)年8月板橋区舟渡にグラフィックガーデン(略称:G2)を竣工*11*12*13
ワンストップサービスの提供体制を確立
9月ハイデルベルグ 中綴じライン ST450導入
2009(平成21)年5月富士ゼロックス DocuColor8000AP、Nuvera 144EAを導入
オンデマンド印刷業務に対応
10月情報セキュリティマネジメントシステム ISO27001認証取得(本社・グラフィックガーデン)
2010(平成22)年10月GMP PPラミネート機 PIONEERⅡ8000BC導入
2011(平成23)年3月東日本大震災発生、G2印刷設備に支障が生じ、5日間稼動が止まる
4月長野県中野市にDTP Studio(略称:DS)開設
9月リョービ LED UV乾燥装置付A全判8色両面兼用印刷機を導入
2012(平成24)年2月G2が第1回エコポリス板橋環境活動大賞 産業環境アクション部門奨励賞を受賞
3月G2がグリーンプリンティング工場に認定
4月Japan Color標準印刷認証およびプルーフ認証取得
9月G2が第11回印刷産業環境優良工場表彰 経済産業大臣賞を受賞*14
11月Japan colorプルーフの運用認証を取得
12月小森 LED-UV乾燥システム搭載A全判片面4色印刷機を導入
2013(平成25)年1月林吉男が代表取締役会長に就任
吉村和敏が代表取締役社長に就任*15
八重樫和義が専務取締役に就任*15
2014(平成26)年7月NRIプロセスイノベーションと合弁でNRIフィナンシャル・グラフィックスを設立
10月「創業50周年 感謝の会」を開催
さらなる未来を見据えて グラフィックガーデン竣工

デジタル時代の本格的到来を受け、さらなる先を見据えてグラフィックガーデンを竣工する。ワンストップ生産体制構築、環境配慮、情報セキュリティ対応という時代の要求に応えた、当社を象徴する最新の生産工場の誕生である。地域親和性と社会貢献にも目を向け、グラフィックガーデンはまさしく当社最強の営業ツールとしての機能を果たす。グラフィックガーデンの操業が安定軌道に乗ると、創業50周年を目前に経営陣を若い世代に刷新した。

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